2016年1月12日火曜日

序章その1

 人生七十年、ここ数年たえず胸に去来するのは、我が生きてきた証は?
これからどう生きれるのか?の2つである。人生は旅する日々と言われる。
その旅してきた時間、場所は、それぞれに違うかもしれないが、納まる
場所はただ一つ、母なる大地である。土より出でて、土に還るが自然の
ことわりながら、日本と言う文化風土の中で、個体としての存在は、
忘れし日々と置き去りし過去の記憶とともに端然と残る。つまらなき
人生でも人生であるか如く、ろばたに打ち捨てられたゴミであっても
己が人生に変わらず。幾百日懸かろうともその拾いた末梢たる中から
己が人生を見つめる。ここに生まれた地への旅とともに70年のわが過ぎし
日々の変化をこの身で感じたい。
私の名は和邇春男、70歳の老人である。横浜で生まれ、関東と関西で
70年を過ごしてきた。

ここ数年の堕落した生活、それはつまるところ自分の積み重ねてきた70年の
決算なのかもしれない。そんな思いの日々であった。ある日何気なく本棚の隅に打ち残されていた、いまはもう見るものさえいないアルバムに気付いた。こびりついてやや黄色みを帯び始めた写真の数々、それを愛しいものを見る仕草で1枚づつ触りながら、ページを、1枚1枚、丹念に見つめた。ほとんどが妻と息子たちののものだが、その間にはさまるようにして何枚かそうでないものが混ざっていた。彼の膝に抱かれた赤ん坊の長男や次男そして、籠に入れられた末の息子。赤ん坊を見つめる父親、遠慮がちに、触ってはいけないと自分を戒めているようだ。そして、何枚かの妻との旅先での写真がある。
二人はにこやかにこちらを見て、仲の良い夫婦ぶりである。全てがまだ若い。
ふと、最近はデジタル写真だからパソコンの中か、と思う。でも、それをあらためて見る気はしない。すべてが過ぎ去ったものだ、そんな思いが彼を支配していた。それから数日間、気分は今まで以上に落ち込んだ。二階の客用の部屋の床じゅうにアルバムが転がっていた。それを元に戻すと言う作業に向き合う事が出来なかった。朝早く洗濯機を回しても、洗いあがったものはそのまま一日中ほったらかしにしていた。食事は冷凍食品の買い置きのもので済ませた。やかん一杯のお湯を沸かす気にさえなれなかったからだ。彼はいまや単なる独居老人でしかなかった。昔、彼が一番嫌っていた人間になっていた。
 
カバーに黒い染みのついたままのソファ、乱雑にものが置かれたテーブル、中途半端に開いた厨子、すべてが無秩序なままであった。
こうしたひとつひとつの家具には、何の思い出もなかった。確かに、大切に
心にしまいこんでおくような、また思い出すような思いでは、全然ない。しかし時折、一つのものが感情的な反応を呼び起こすことはある。ある家具の状態を思い出すと、胃酸がのど元に酸っぱい刺激を増し、首のうしろにじわりと汗が吹き出てくるようなことがあった。たとえば、ソファだ。その色合いとすわり心地の良さを感じ、高価な物であったが、無理して買った。しかし、半年もたたずに色褪せ、座るたびに不快な音を出し始めた。ソファの持つ安寧と豊かさの実感は微塵もなくなった。
そしてそのわびしさが悪臭を放ち、すべてのものに滲みこんでしまう。
その悪臭のおかげで、今は猫の排泄もそのままの不快な置物となっている。
ちょうど歯痛が、ひとりでずきずき痛むだけでは足りないで、痛みをからだのほかの部分まで広げないではいないように、呼吸が困難となり、視野がせばまり、神経までが不安定になる、うらめしい家具は人をいらだたせる不快感を生み、それが家中にのさばって、更なる混乱を広げていく。
乱雑に何もかもが置かれ、台所は混乱の極みとなり、わが猫たちはそのひもじさに和邇に向い、鳴き訴えることで過ごしてきたが、やがてこの男に頼る事は出来ないと外で食べ物を漁る道を選んだ。日が昇り、やがて赤く染まる部屋の中で、ただ座るのみの生活、まさに座して死を待つ状況である。あの事件以来、彼は死んでいた。
そんな日々が三年ほど続いた。もっとも、和邇にとって、それははるか昔のことであり、三年という月日さえ思い出せなかった。猫たちは一人、二人と消え去り、今は最後の一人がこの落ちぶれた老人の横にいる。

我が家のポーチには、リクラインの椅子がある。肘掛のところのニスは剥げ、
やや疲れきった風貌であるが、我が家の全員が愛する椅子でもある。四季を
感じつつ、二十四節気の音を聞きながらこの10年ほどを過ごしてきた。
そこに座ると二階のベランダと張り出した梅ノ木やさくらんぼの木々から蒼く
澄む空と櫛をすいたような軽やかな雲たち、時には厚く黒々とした雲、飛び交う小鳥たちが一片の額の絵の様に広がり、そこに集う人を優しく包み込み、休息と自然の優しさを与えてきた。その揺らすたびに鳴るギコギコという音とともに。眼前の白い壁が薄く光り始め、橙色を帯び、徐々にその明るさを増し、やがて純白の光となって周囲を照らし出す。その白さと対比する様に、和邇のいる椅子からは、薄青色の布をかけたかのように空の蒼さが天上に広がっている。その蒼さを切り取るように四、五枚の枯れ葉が足下に落ちてきた。ふと、四年前、病院で見た雲清の変化を思い出す。ガラス窓の向こうで繰り広げられる光と雲の協奏は、茜色から金色に変わり、やがて澄んだ青色へと見る世界を
変えていった。
静寂の中に広がる街の朝の顔がそこにあった。活気に満ちた世界を繰り広げる前の静けさが街を覆っていた。今、この椅子からみる情景もそれに似た空気を
醸し出している。静けさの中にある一抹の希望。希望と言う言葉からは、
以前のような心の躍動はないものの、心は不思議と満たされている。
頭の上では、ひつじやうろこ状の雲たちが広がり始め、やがてその下を灰色の
雄牛の如き雲が二つほど左から右へと流れ去っていく。
俺もあと何年かな、そんな想いが彼の心を過ぎる。

四年前までは、違った光景があった。春の梅ノ木を横目で見ながら冬の寒さから開放された喜びを感じつつ甘い香りに包まれている和邇の姿が多く見られ、猫たちは温かさがその陽射しとともに高まる昼からは先ずハナコが寝そべり、そこへレトがハナコを追い出しに現れる。その取り合いは、春から秋へと続く。ライはこの2人にお構いなく好きなときに現れ、先住の猫たちを追い出し悠然とそこに納まる。ただ、夏は夕暮れ時にしかその椅子にはだれも現れない。時が進み、空の蒼さと流れる風、さらに近くの金木犀の甘い香りが庭を支配し始めると、和邇とハナコ、レトの取り合いが始まる。もっとも、ハナコは夜遊びが慣れたのか、夜抜け出し、朝彼が雨戸を明けるとノンビリと椅子の上で御睡眠している。冬、雪の中で端然とその冷たい空気に抗うかのように椅子は一人そこにいる
ときが多くなる。
少し斜めから朝の光が、隣の家の屋根の黒く三角に切り割かれた影を我が家の
テラスに落としていた。眼の前の梅には数枚の葉がゆるく揺れながら張り付くように残っている。一枚が力尽きたように枝から離れ、主人の足元に落ちた。ことりと言う音が聞こえるほどの静けさが漂っている。リクラインの椅子に座り、彼はその葉の落ちる姿を眼で追い続けた。膝には、冬肥えであろうか、大分重たくなったルナがその顎を主人の腕に乗せ、眼を閉じている。黒い毛が体の殆どを覆い、鼻筋と首の周辺の白さを際だたせている。ふわりと軽めの雲が足早に左から右へと流れ行き、一定のリズムを取るように光が庭を照らし、その濃淡に強弱を付け、さらに数秒経つと平板な少し暗さの伴う世界を作り出す。すでに立冬を過ぎ、寒さが一段と増しているが、ルナの暖かさが小さな流れとなって、ひざからお腹へ、さらには、体全体へのじわりと伝わってくる。
僅かの暖かさを味わうかのように主人はルナに眼を落とし、次第のそれを庭の先へと持っていく。枯れ草の中には、薄の灰色の穂波が三つほど頭を出し、常緑の榊の枝に寄りかかる仕草で小さなキャンバスの絵の姿を保っている。
よく見れば、隣の部屋には、チャトがルナの様子をうかがうかのようにじっと
こちらを見ていた。その茶と白の配色が微妙な形を成している体がやや細く感じるのは、この季節の移ろいだけではなさそうである。
冷え冷えとした部屋は寂としている。雪白の障子は霧のような光りを透かし
彼の茶と白の毛並みを静かに浮き立たせている。そのとき主人は、決して手の届くというほどの近さではないが、遠からぬところ、廊下の片隅か一間を隔てた部屋かと思われる辺りで、トトの哀愁を帯びた声を聞いた。たしかにこの冬寒の空気を伝わる忍び泣きに違いないと思われた。彼女が死んですでに七、八年余り、強いて抑えた嗚咽の伝わるより早く、弦が断たれたように、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝わってきた。
この家には、多くの猫たちの想いが張り付いた様に残っている、ルナの息遣い
とともにそんな想いにかられた。
先ほどまでゆるやに上がっていたコーヒーの煙は僅かな暖かさを残し消え
かかっていた。小さな漆赤の茶碗の縁に、呑み跡のそれが紫がかって春泥のようにはみ出しているのが徐々に乾いていた。
やがて来る春の木々の音とそれに群れるほととぎすなどの鳥たちの合奏の日々
を待ち続けている。しかし、彼のあるべき姿も後数年であろう。無生物である
彼にも寿命はある。彼のそこにいる価値もやがて失われる。主人やチャトが
そうであるように忽然と消え、人々、猫たちの記憶からも消えて行く。

そんな毎日が四季の移り変わりとともに続いた。
 
 

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